落ち込んでいる暇があったら反復
- Saito Shigeru
- 2019年11月27日
- 読了時間: 2分
「自分はやはり勉強には向いていないのかもしれない。だって、この前覚えたはずのことをほとんど忘れてしまっている。一度できるようになったこともできなくなっているし」
こんな風に落ち込んでいる人は、単純に反復が足りないだけなんですよ。
物理的な回数です。
質とかではなくて、単なる回数。
落ち込んでいる暇があたら、腹が立つほどの反復を。
忘れたらまた覚える。
また忘れたらまた覚える。
それだけのことです。
ところが、多くの人は今のやり方ではダメだと思い、何か別の道を探し始める。
そして多くの人は「今より要領よく、ラクな道」を追い求める。
結局、ラクな道はないという事実を思い知る。
多くの時間とエネルギーを余分に使って。
時間とエネルギーの無駄です。
ラクな道を追い求めた報いだ、というのは酷だが。
遠回りしている時間があったら反復すればよいのに。
このようなことを教えるのも指導者の大切な仕事ですね。
要領の良い解き方、要領の良い学習法。
これを最初から教えてしまうと、自分で考えたり模索したりできない人になります。
結果、教えたはすの「要領の良い解き方」さえも身につかない。
指導は「注入」ではない、といういつもの話。
自分で手を動かし、のたうち回り、自分の足で歩いて道に迷ってみる。
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