手間がかかる
- Saito Shigeru
- 2021年10月10日
- 読了時間: 1分
吾妻から前橋女子高校、高崎女子高校に合格させている齊藤塾です。
実力テスト結果の報告がありました。
ついに、
学年1位!
分厚い優秀層の中でついにトップをとりました。
夏期講習の成果ですね。
さて
勉強は孤独にやるものです。
勉強という作業の大半は自分自身と向き合うことでなされます。
だから、孤独な作業なのです。
自分自身との対話は日本語でなされます。
日本人の場合には必然的にそうなります。
その言葉が貧困ならば、自分との対話の内容も貧困になります。
「日本人だから日本語くらいで『できる』、だから〇〇の学習を」
そう考える人が時々います。
安易な発想だと思います。
日本語が「できる」といっても、一人一人のイメージしているそのレベルの差があまりにも大きいから。
自分の日本語で自分自身と向き合う。
それなしの勉強はあり得ません。
私達の思考は自分自身の日本語でなされます。
その思考の道具を確立する段階をおろそかにしたくないものです。
その道具の確立は、活字を自分で読むことでなされると考えます。
できれば紙の上の活字で。
そして自分の手を動かして書いた文字で思考は深められる。
そう考えます。
勉強には手間がかかります。
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