勉強は泥臭い
- Saito Shigeru
- 2022年8月3日
- 読了時間: 2分
夏期講習真っ只中。 塾生達はヘトヘトになるまで自分と戦っています。 教える側も教わる側も真剣勝負。 双方疲れますが、気持ちよい疲れです。 脳ミソが筋肉痛。 これが気持ちよい。 私が一番やりたかった仕事でもあります。 さて、勉強は泥臭いという話。 電子辞書にしろ、スマホやPCによる検索にしろ、以前では考えられないほどのスピード感で私達の学習効率を高めてくれます。 ある意味、夢の道具です。 それなのに肝心の学習効果が上がっているとはいいがたい。 つまり、学習「効率」は格段に向上したのに学習「効果」は上がっていないかもしれない、ということ。 道具がストレスを省いてくれた、その分私達が「ラク」をしただけで終わっている。そんな感じでしょうか。 いつも、言っていることの繰り返しになりますが。 困難に対峙した時に初めて私達の思考は起動する。 ストレスのないのっぺりした学習では、あまり困難を感じないということなのでしょうね。困難を感じないから、思考は起動しない。だから、学習効果がそれほど上がらない。 「機械にできることは機械にやらせて、人間にしかできないことを人間がする」 よく言われることです。 しかし、そんな簡単な話でもないようですよ。 「人間にしかできないこと」だけに絞ってピンポイントで思考するなんてことができるのでしょうか。はなはだ疑問です。エッセンスの部分だけヒトがやる? どうなんでしょうね。 思考って、一見無駄に見えることや、雑多なことの積み重ねの上に成り立っているような気がするのですが。特に、発明や発見こそ、行き詰まった時に、そのようなものからヒントを得て突破口を開いてきたと思うのです。そんなエピソードばかりですよね。
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