ゆっくり学ぶこと
- Saito Shigeru
- 2019年11月26日
- 読了時間: 1分
「ゆっくり学ぶ」ことと「しっかり学ぶ」こととは同義だ。
どんなに速く学んだとしても、消化不良だとしたら、それは実際は学んだことにはなっていない。
中途半端に学んだのでは「学んだつもり」になっている分、かえって厄介かもしれない。
学校の授業についても、内容理解が中途半端だったとしても、教科書は先に進んでしまう。
それで、何となく学習が進んだ気になってしまう。これが、一番いけない。
「学び」とはどこまで行っても能動的な作業なのだ。
自分からエネルギーを振り絞って学ばない限り、自分のものにはならない。
流れているような授業に学びは存在しない。
こんな当たり前の事実に気づけない人は多い。
そして、無駄に時間を使い、気の遠くなるような遠回りをししまう。
学びのポイントは能動的であること。
能動的ならばよいので、そのスピードは問われない。
自分なりのスピードで良いということだ。
身についたかどうか、吸収できたかどうかだけが問われる。
そういう観点から言えば、やはり学びは厳しいものだとも言える。
身につかなければ学んだことにはならない。
ゆっくりで良いから一歩一歩身につけること。 流れるような学びは存在しない。
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