いつものピーマンの話
- Saito Shigeru
- 2021年5月17日
- 読了時間: 2分
吾妻から前橋高校、高崎高校に合格させている齊藤塾です。
いつもの、ピーマンの話です。
ピーマンが嫌いな子がいたとする。
全く食べようとしない。嫌だ嫌だを繰り返すばかり。
これを容認してはダメ。
じゃあどうするか。
ひとかけらだけ食べさせる。
ほんのひとかけらでよい。
味なんか分からなくくらいのひとかけらでもよい。
それさえも食べないと言い張ったらどうするか。
一切食事を与えなければ良い。
泣いてもわめいても毅然とした態度をとる。
それが正しい大人だ。
ひとかけらも食べないというのは、単なるワガママでしかない。
好みの問題を超えているのだ。
ワガママを許してはいけない。
何故か。
それがワガママだからだ。
でも実際は、ひとかけらでも食べようとしない、という子はあまりいない。
体に良いとかなんとか言って、大人が食べて見せれば顔を歪めながらでも食べるものだ。
特定の野菜には、その野菜にしか含まれない栄養素がある。
だから、食べねばならない。
しかし、大量に食べる必要はないのだ。
特定のミネラルは少量で十分だったりする。
ゼロではダメだ。
ゼロかゼロではないか。
それは大問題なのだ。
英語に any という単語がある。
これは、数学でいう原点0の付近、つまりゼロかゼロではないかのせめぎ合いのことを言うが、なかなか日本語では説明しにくい。だから、否定文と疑問文ではsomeはanyに変化する、などという変な説明で間に合わせる人が多い。この単語の本質からはかなりずれていると思うが。
嫌いなものでもゼロにはしない。
勉強でも同じだ。
Comments