反応
- Saito Shigeru
- 2021年4月25日
- 読了時間: 2分
吾妻から前橋高校、高崎高校に合格させている齊藤塾です。
昨日通塾初日の塾生2名。
初日ですが、長時間学習で自分と戦って帰りました。
受験学年はもうすぐ満席となります。
さて、
哲学者の谷川徹三さんによると、「考える」ということの原初的形態は「我々が生活の中で何らかの障害に出合って、我々の意志が阻まれる場合、それに反応する一つの仕方」なのだと。
障害に出合わなければ考える必要もない、ということですね。
人は、考えなければ前に進めないような状況に追い込まれて初めて考えるということをする。何も考えずに日々過ごせる人が哲学的思考をすることなどあり得ないということなのかもしれません。
まあ、そうかもしれませんね。それほど人は怠惰なのでしょう。必要のないことはなるべくやらない。何らかの困った状況に追い詰められて、初めて頭を使い始める。何とか頭を使って乗り切ろうとする。考えなければ前に進めなくなって、やっと考えだす。
そう考えると、先人達が膨大な思考の遺産を残してくれているということは、それだけ先人達が様々な障害に出合って、その時々に思考せざるをえなかった。そんなな状況に追い込まれて、苦しみながら思考してきたということに違いありません。
受験も一つの障害ともいえます。
どうしても乗り越えなければならない。受験では様々なことを考える必要に迫られます。
深く考えるチャンスをもらったとも言えますね。
Comments